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【新・味いちもんめ】の舞台裏
第69回 今日も食べては書いてます! …Vol.66 東京の味
人それぞれ、産まれ育った故郷の郷土料理には思いいれがあるはず。でも東京の郷土料理と言われて、あまりピンとくる人はいないかもしれません。今回福田氏は、そんな東京の歴史を味わう散歩をされたようで…。
文/福田幸江(『味いちもんめ〜独立編』シナリオ執筆者)
寅さんが産湯をつかった柴又帝釈天に到着! 正式な名称は経栄山題経寺。日蓮宗のお寺です。帝釈天は梵天とならんで仏法の二大守護神。厄除け、病気平癒、金運などに御利益があるとか。
明治29年建立の帝釈天の山門。二天門と呼ばれ、一階部分の左右には四天王のうちの増長天、広目天が安置されています。(境内側から撮影)
二天門をくぐって正面にある帝釈堂。帝釈天の板本尊と多聞天(毘沙門天)、持国天が安置されています。柴又帝釈天には四天王が揃い、さらに四天王を統率する帝釈天が祀られているわけですから、そのご利益たるや…!?
川魚料理店でいただいた定食。デザートには柴又名物、草だんご。ボリューム満点でお腹も大満足。お茶を何度も淹れに来てくれる心遣いが嬉しかったです!
店内に飾ってあった凧。さて問題です。それぞれ、なんと読むでしょう? 答え:(右)商い。秋がないから。(左)ますます繁盛。にしょうごんごうで、一升=ひと枡×2で、ますます。五合は一升の半分だからはんじょう。
参道には昭和時代をテーマにした駄菓子屋さんもありました。入口にはこんな顔出しパネルが。こういうパネルを発見するたび、顔を突っ込みたくなるのは我が家の伝統。
 本誌のコラム『味散歩』が11月26日(金)発売の24号で終了しました!!
 拙い文章にもかかわらず最後までお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございました。コラムは終わりますが、物語の伊橋くんは神楽坂にてまだまだ営業中ですので、今後もよろしくお願い致します!
 また、神楽坂はとても素敵な町なので、興味のある方はぜひ訪ねてみてください♪

 そして12月24日(金)発売の本誌2号で、新コラムがスタートします。「故郷の味」的な内容になるのですが、ネタ元はこのウエブコラム担当のマッチーさん。それをちょこっとアレンジして現在進行中!

 ということで先日、コラムに何か役立つかも…と「故郷の味探し」にフーテンの寅さんで有名な東京葛飾区柴又行ってきました。

 なぜ柴又かというと、自分は東京23区の西部(大昔は田園地帯)で生まれ育ったため、浅草や深川、柴又といった有名な下町とは馴染みがなく、東京の味としてよく名前があがる下町フードの「もんじゃ焼」や「深川丼」なども社会人になるまで食べたことがなかったからです。

 そして柴又では…。

 休日とあって柴又駅から帝釈天付近は観光客で大賑わい。まずは帝釈天でお参りを済ませてから柴又観光開始です。
 参道には寅さんの家「とらや」で有名なおだんご屋さんの他、手焼きの実演をしている煎餅屋さん、包丁でリズムを刻みながら飴を切る飴屋さんなど、昔懐かしいお店が並んでいました。毎度のことですが、仕事や写真を撮ることなどすっかり忘れ、おだんごを食べ、漬物を試食し、飴屋さんの飴切り音頭を見、川魚料理店の生けすの鯉を眺め、子供のようにはしゃいでしまいました。

 遊び疲れてハタと気づき、下町らしい名物料理をと慌てて探すと、帝釈天の参道にはなぜか鰻や鯉などの川魚料理のお店が多く、そのうちの一軒に入ることに。入ったお店は天明年間(1781〜1788年)創業という老舗。趣のある建物は大正時代初期の木造建築だそう。

 注文したのはもちろん川魚定食。鯉のあらいと、鯉こく、うな丼、草だんごのセットです。泥臭くないかな…と心配だったのですが、臭みなどまったくなく、身が締まっていて歯触りがよくて大変美味。鯉こくもコクはありつつも甘くなくすっきりとした味わい。うなぎも然り!

 そうそう、うなぎといえば現在の蒲焼状になったのは江戸時代だそうで、関西のいわゆる腹開きがちょいと早く誕生。江戸では寛政年間(1789〜1800年)に背開きでみりん入りのタレを使った関東風の蒲焼が誕生したのだとか。1800年代に入ると江戸の深川では蒲焼屋が起こり、今は寿司の代名詞ですが、鮮度のいいうなぎを指す「江戸前」という言葉も使われるようになったそう。こういったことから、うなぎの蒲焼は東京の郷土料理言えるかもしれませんね。

 それで鯉料理はというと、こちらも歴史は古く、徒然草にも包丁さばきを自慢するコイ包丁の話が書かれています。平安時代には包丁式や鯉が使われるようになり、祝い魚や縁起のいい魚として珍重されるようになったそうです。享保年間(1716〜1735年)になると伊勢に鯉料理の専門店が誕生し、のちに江戸に伝わって鯉こくが人気を呼んだとか。

 帝釈天の参道に川魚料理店が多いのは、こんな江戸の流行が影響しているのかもしれません。ちなみに帝釈天は寛永6年(1629)開山と言われています。想像するに、参拝客が増えるにつれ休息所としての茶店が立つようになり、江戸の流行よろしく、近くを流れる江戸川で獲れた魚を料理して出す店が多くできた。そして現在も鯉料理を出すお店が残っている…、といったところでしょうか。

 では江戸時代から食べられていたのだから鯉料理は東京の郷土料理? これが判断に悩む所で、先に述べた東京人の自分が馴染みのない「もんじゃ焼」や「深川丼」と同じなのです。一部地域で残っているのですから、慣れ親しんでいる人にとってはまさに故郷の味ですよね…。

 こういった問題を含みつつ現在進行中の新コラム、どうなりますやら!?
 発売はまだ先ではありますが、本誌をお手に取ったならば、ご一読くださいますようお願いいたします!!